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私が「絶対にしてはいけない、悪いこと」だと思ってたことが、他人はあたりまえにしていることだった。
私の気持ちを分かってくれないと嘆く人は致命的に他人の気持ちが分からない。 |
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他人の気持ちが分かるかどうかには、それぞれに程度がある。
その中で最も他人の気持ちが分かる人でも、多分常に正確に他人の気持ちが分かるわけじゃない。
きっと大抵は、自分が他人の気持ちをわかってないことに気づく程度だとおもう。
自分が他人の気持ちを分からないのだから、他人が自分の気持ちを分からないことも当然だと納得できる。
それでも、他人の気持ちが分かるなら、そのひとが自分の気持ちを分かってないときは当然分かるし、どのように自分の気持ちを分かってもらえるかも分かる。
かくして、気持ちを分かってもらえないことについて他人に喚くのは、他人の気持ちが分からない人だけになる。
他人の気持ちが分からないから、その人に自分の気持ちを分かってもらうにはどうすればいいか分からない。
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子供の頃は「自分の感情をあからさまに表現しない方がいい」という考えと「他人が私の感情を分かってくれない」ことへの不満を持ってた。
つまり、「他人は私の感情を言外に読み取ってくれる」ことを期待していた。
私が他人の感情を当て推量しようとする必要なんてないし、
他人に理解してほしいことはその通りに表現すべきだ。
他人を信頼する、ということが長い間分からなかった。 |
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それに、どういうことか分かったところで、自分は他人を信頼することは多分できないとおもう。
ずっと、誰にも何も預けずに生きていくんだ、とおもう。
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言わなくても分かってくれる、なんて期待するのが間違いなんだ。
そんなのはまともな人間とまともじゃない人間があると信じてる連中に任せておけばいいんだ。
おれはあなたがわからんし、あなたはおれが分からない。
分かって当然の考えと、分からなくて当然の考えがあるわけじゃない。
あなたがそれで生きてこれたのは、単にあなたが多くの人と同じ考えをしてたに過ぎない。
少なくとも、人の気持ちが分かってないことにさえ気づかない人間と話したくはない。
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おれは今まで自分にとって一番自然と思えるやりかたで生きてきたし、それが他の人にとって自然でない、っていうことがものすごく寂しい。
おれは、他の人にとって不自然なものなんだ。
最近までずっと、他人に嫌な顔をさせないことだけを考えて生きていた。 |
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他人が、私を嫌な気持ちを抱いて私を攻撃することが一切ないように。
そうじゃない。私を嫌いになるひとを切り捨てるような生き方をしなきゃいけないんだ。
人が嫌な気持ちになったとかほんとどうでもいい。 |
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それが他人を縛る理由になると思ってるのかよ。
俺が嫌な気持ちになってもそれは自分のせいで済ませるくせに。
嫌な気持ちに間違いはないのかもしれないが、俺がそれじゃ生きていけない以上、
俺は俺が生きていける状態を正しいとしなきゃいけない以上、
他人の気持ちを伺ってる暇なんでない。
俺は俺が生きられない価値観を意識的に切り落としていかなきゃいけない。
無理をすると無理が出る。 |
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無理に通せばなんとかなる、と信じてやっていたことが、今の状態に悪い影響を与えている。
自分のしてはいけないこと、絶対に避けなければいけないことを知れたのは良かったのかもしれない。
でも、それ以上に自分を過剰に縛るものになってしまってる。
怖いものは怖いんだ。
怖さは人を動けなくするんだ。
感覚を重要だと思うことができるのは、それが自分自身にとって心地のいい感覚 であるときだけだ。 |
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未だに、自分の言葉や行動が、他人の言葉や行動に何も関わっていないんじゃないかと思うことがある。
自分は、他人にとって空白なんじゃないかと思えてくる。
あるいは、自分の見る外側は、本当は外側とはつながってないような気がしてくる。
私が他の人の話を聞くように、他の人は私の話を聞いているんだろうか?
理性的に考えれば、そんなことはありえない。
私が他人の行動を変化させることだってままあるんだろう。
私が、他人からいろいろな影響を受けているように。
でも、感覚的には、それが全く信じられない。
それが、私がなるべく感覚を排除し、理性的であろうとする大きな理由でもある。
こういった感覚こそが、関係に悪い影響を与えるということを、私は少なくとも知っている。
「重力ピエロ」が嫌い |
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殺人の是非が、殺す対象によって変わるわけがない。
殺人は、格好悪くて、泥臭くて、みじめなものじゃないといけないとおもう。
でも、この人殺しには、そんなものが何もない。
すっきりして、格好良くて、何の罰も受けてない。
俺は、この小説が評価されてるのが気に入らないし、
こんなものをありがたがってる人を軽蔑する。
死ぬより嫌なことがあるから死ぬんだ。 |
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生きていれば良いことがあると信じれるのは生きてきて良いことがあった人だけだ。
誰も私の言葉を聞かないのに、自分ばっかり相手の言葉に気を遣うのはうんざり だ。 |
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多分私でも、他人の言葉を十分に理解してるわけじゃないんだろう。
でも、私の感覚としては最大の努力をしてるつもりだし、
もしこれで足りないっていうなら、もっと深く理解して欲しいと言うなら、
誰とも会話しない方がよっぽどマシだ。
俺が自分のことについて何かを言うとき、 |
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それはほとんどの場合もう解決してる。
それには明確な理由があって、俺は他人の助言を受けたくないのだ。
なにかについて困っている、と他人に明かすと、助言をくれる場合が多い。
その助言が役に立ったことは、ほとんどない。
嫌な思いをすることは、ままある。
助言は、大抵の場合、俺の性格とか、主義とか、俺がまだ言ってない状況とかを考慮してない。
自分が知らないことがあることを、忘れてる。
俺が今までどういう経験をしてきたかを、理解できない。
そして、役に立たないくせに、感謝を要求する。
ほんとに助言が欲しいなら、細かいことを説明すればいいんだろう。
でも、助言が欲しくて言葉を話してるわけじゃないし、そんな手間をかけてまで欲しいわけじゃない。
中途半端な理解で中途半端なことを言われても困る。
だから、他人が口を挟めそうなことを、俺は言わない。
他人が、俺に良くしようとする気が起きないように。
体験してないことが分かるはずがない |
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厳密に言って、同じ経験なんてしようがないんだから、誰でも、他人の気持ちが分かるなんてことありえない。
実際にはある程度境遇が似てることは一応ありうるだろうけど。
少なくとも、自分にない問題を抱えてる人に対し、その気持ちが分かるとか間違ってるとか、どうこう口を出すなんてできるはずがないんだ。
だから、助言をするなら、他人にとっての最善を、理性的に考えて考えて考えるしかない。
他人の気持ちが分からないことを前提として認めて、分からないことを加味した答えを相手に返すしかない。
それを、考えるな、感じろ、とか、
そんなことを言うから人が死ぬんだ。
自分の憧れる服はどうしても自分に似合わない |
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ということがはっきり分かってしまった。
圧倒的な事実だった。
絶望だった。
どんな服も、着れなくなってしまった。
時間が経って、その絶望にはいくらか慣れた。
誰でも、自分に似合う服装で勝負しなきゃならない。
似合わないものがあるなら、似合うものを使うしかない。
この下らない憧憬と嫉妬を一生背負って、外の視線に対峙するしかないんだ。
私は他人にとってあんまりよくない人間であることを |
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私はある程度自覚してる。
それは、他の考えを認めない排他的な価値観だったり、他人の努力を無意味と断ずることだったり、自分の最善を疑わない盲目さだったり、必要以上に他人を煽ったりすることだったりする。
私はそれを人間関係上あまりよろしくないことと知ってるから、控えようとする。
それは私にとって不自然で不完全で負荷になる。
自分にとって自然なことをしないのは無理で無理で無理が溜まって、逃げるしかない。
死ぬ怖さは、死ぬときだけで充分だよ。
それ以外で、死ぬに匹敵する怖さを味わいたくはない。
誰も悪くない。
関係を持たないことで、一番私の不幸が減る。
それを聞いて他人がどういう気持ちになるのか分からないのか。 |
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という一文が、まるで正義のように、圧倒的に使われているのを頻繁に見る。
私が、他人の言葉に何を感じてきたか、誰も、全く分からないくせに。
誰も、私の気持ちを分からないことについて、私の代わりに他人を責めないくせに。
言葉にしなくて何が分かる。
少数派は悪か。
暗黙の理解を要求される義理はない。
あなたの常識と私の普通には、何の関係もない。
あなたと私が違うということについて、私たちは完全に対等だ。
あなたが多数派であるというだけで、言葉にする必要がないと考えるのは、傲慢が過ぎる。
私が少数派であるというだけで、理解を諦めるのは、怠慢が過ぎる。
伝えたいなら、言葉を話せ。
分かりたいなら、話を聞け。
それがないなら、お別れだ。
不快になったので謝れ?嫌です。 |
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今の言葉で私は大変傷つきました。
謝っても許さないので死んでください。